
「逃げとけ、よけとけ、回っておけ」
江戸時代、人は金神さまを「祟り神」と恐れました。金神さまが所在する方角に向かって建築、転宅、旅行などを忌むとされ、これを犯せば災難を受けることになる。
「知らずに犯せば牛馬七匹、知って犯せば亭主より七墓つかす」と伝えられ、方位、方角、家相などをみてもらい災難が起こらぬように金神さまを避けしました。
金神七殺
金光大神こと赤沢文治さまも家の建築の際には入念に方位を見てもらい、金神さまの方角を犯さぬように普請しました。
これで安心と思いきや、文治さまのご子息の槙衛門さまが病気にかかります。医者に診てもらい、神々に祈念しますが、発病からわずか三日で亡くなってしまいます。文治さまは十三年の間に義弟、父、子供三人と飼い牛二頭を亡くしました。
「知らずに犯せば牛馬七匹、知って犯せば亭主より七墓つかす」村の人は、文治さまの身の不幸を見て「金神七殺だ、金神の祟りだ」と噂しました。

災難はこれだけでは終わりません。文治さまは四十二歳の大厄の年に、「のどけ」の病にかかります。喉が腫れて湯水も通らず、声を出すこともできず、お医者さまは文治さまを診て「九死に一生」と告げます。
これを案じた親戚一同は集まり、石鎚の神さまに文治さまの病気平癒を祈念しました。すると親戚の一人に神さまがお下がりになり「普請、家移りにつき、豹尾、金神に無礼いたし」と建築のことについて指摘されました。
文治さまはこれに対し丁寧に金神さまへのご無礼をお詫びしました。すると神さまは「戌の年、当年四十二歳の厄年、厄負けせぬようにと願い申したであろう。熱病では助からないから神がのどけにまつりかえてやった。心徳をもって神が助けてやる」とお知らせになりました。その後、文治さまの病状はしだいによくなり、全快しました。
金神の威徳
ある年の正月一日、文治さまは金神さまにおもちを供え、お礼、お願いを申し上げました。
すると金神さまから「文治は神の言うとおりにしてくれて、そのうえ、神と立ててくれるから神も喜び。これまでは色々と不仕合せ、難を受け。これからは、何事も神を一心に頼め。」とお言葉が下がります。
文治さまは金神さまを金乃神さまと拝み、神棚を改めて一心に信心し「お知らせ」を受けるようになります。
お知らせの内容は、お産についての指示や文治さまの家業である農業についての指示、天候を教えてくださったり、コレラの予防法、これまで難を受けた理由など。文治さまは、そのお知らせを疑わずに、神さまのお指図どおりにしておかげを受けました。
ある年、「うんか」という害虫が大量発生しました。普段なら田んぼに鯨の油を入れ稲を叩き、虫を油に落として退治をするのですが、金乃神さまから「田に油を入れるな」と指示があります。
うんかを退治しなければ稲の収穫は無くなってしまいますが、文治さまは神さまのお指図どおり油を入れないことにします。その結果、油を入れうんか退治をした村人の田は収穫が少なく、対して、油を入れなかった文治さまの田は大豊作。上米が九俵とれた田もありました。

村人は、神さまを熱心に拝む文治さまに「信心文さ」とあだ名を付けてからかっていました。しかし、文治さまの周りで次々と不思議なことが起こるので、困ったことがあると「神さまに頼んでください」と訪ねるようになりました。
文治さまは農業の傍ら、人の願いを金神さまに取り次ぎました。噂はしだいに広まり、遠方からも多くの人が「大谷の金神さま」と訪ねて来るようになります。
神の守、取次の御用
ある日、金乃神さまから文治さまへお頼みがあります。「農業を差し止めるから、承知してくれ。世間の難儀している人を取り次ぎ助けてやってくれ。神も助かり氏子も立ち行く、氏子あっての神、神あっての氏子…」。
このお知らせを機に文治さまは家業である農業をやめて、氏子の願いを神に取り次ぐ、「取次」の御用に専念します。文治さまは「金光大神」となり、朝から晩まで参ってくる氏子の願いを取り次ぎ、人が助かるために「理解」を話し聞かせました。

「盲目の者の眼が見えるようになった」「金神さまの教え通りにして安産のおかげを受けた」「百姓が信心して収穫が年勝りになった」
金光大神の信心による金神さまのあらたかな霊験は口伝えに広がり、百姓から殿様まで多くの人が金神さまを拝むようになりました。また、手厚い神信心をする者の中には、取次の御用を神さまに頼まれる者もできました。
「天地金乃神と申すことは、天地の間に氏子居っておかげを知らず、神仏の宮寺社、氏子の家宅、みな金神の地所、そのわけ知らず、方角日柄ばかりみて無礼をいたし、前々の巡り合わせで難を受け。今般、生神金光大神差し向け、願う氏子におかげを授け、理解申して聞かせ、末々まで繁盛いたすこと、氏子ありての神、神ありての氏子、上下立つようにいたし候 」
氏子の願いを神に取り次ぎ、神の教えを氏子に伝える。ちょうどお稲荷さまの使いの狐のように、天地金乃神さまのお社の右脇に鎮座され、文治さまは生涯神さまの眷属「金光大神」として、神さまの守の御用に仕えられました。
そして、新暦と旧暦の金光大神の祭り日(月の十日)がちょうど重なる明治十六年十月十日に、金乃神さまのお知らせ通りおかくれとなりました。