金神とは「地の神」【凶神と恐れられた方位神が福神になった経緯】

こんにちは、タツノトシです。

先祖四代にわたり、金神さまに仕えることを生業としています。

日本には、八百万の神といってたくさんの神さまがおられますが、そのなかでも「金神さま」ほど誤解されている神は他にいないでしょう。

長い間、人々のあいだで悪神・邪神と恐れられた金神さまですが、江戸時代の赤沢文治という一人の男によって地を守る神としての性格が新たになりました。

本記事では、何百年ものあいだ逃げとけ、よけとけ、まわっとけと恐れられてきた金神さまを「地の神」「福の神」という視点で解説します。

目次

祟り神として恐れられた「金神」

現代でも、引っ越しや旅行を行う際に凶方位を避けて行う人がいますが、明治以前の日本では今とは比にならないほど方角を見ることが盛んに行われていました。

方角を見るとは

方角を見るとは、現代の「恵方巻」をイメージすると分かりやすいです。節分シーズンになるとスーパーの惣菜コーナーなどに「今年の恵方は西南西」など恵方が書かれた紙が貼られます。

「恵方」とは徳神(としとくじん)がいる方角のことで、その方を向いて巻きずしを食べると縁起が良いといわれるのです。

恵方の方角にいる歳徳神とは、新しい年をもたらしてくれる福徳を司る神さま。歳徳神がいる方角を「明きの方」といい、その方角に向かって事を行えばすべて吉になるといわれました。

たとえば、妊婦は安産になるようにと「明きの方」を向いて出産したそうです。
この「歳徳神が所在する方角に・・・」というのが方角を見るということです。

方位神「金神」

方位神とはその方角を司る神さま。歳徳神は福をもたらす神さまでしたが、方位神は歳徳神だけではありません。

三年間同じ方角に留まり、その方角は全てが凶になる「大将軍(だいしょうぐん)」。また、汚いものを嫌いその方角に大小便をしてはいけないとされる「豹尾神(ひょうびしん)」など。

方位神のなかでも「金神」は最凶の祟り神として恐れられました。

金神のいる方角に向かって、建築やひっこし、旅行や結婚などをおこなうと家族七人を殺し、家のもので足りなければ隣人や家畜もふくめて殺すといわれました。

この祟りを「金神七殺(こんじんしちせつ)」といいます。
昔の人は、「逃げとけ、よけとけ、回っとけ」といって暦で方角を見て金神を避けました。

暦とは

暦とは、現代のカレンダーに方位神のいる方角をしるしたようなものです。

カレンダーは表紙をめくれば一月からはじまりますが、暦の1ページ目には、その年の方位神の所在する方角が記されます。

カレンダーの六曜を見て「祝い事には仏滅を避けて、大安を選ぶ」という人もいるかもしれませんが、暦はそんなレベルの話ではありません。

上の暦で例えれば、

もし家の便所が丑の方角にあるなら、その方角には豹尾神がいるので大小便をしてはいけません。また、工事をするにも酉の方角に大将軍がいるから、土を動かしてはいけません。
そしてこの年は、子・丑・寅・卯・午・未の方角に金神がいます。この方角は、建築、農作業、旅行などあらゆることが凶となります。

こうして考えるとたいへん不便に思えますが、当時の暮らしは暦を見ることが常識でした。

そして、現代でも一部の地方ではこの風習が根強く残っているようです。

2000年4月、山形市の下水道工事で、工事を断る世帯が多く、遅々として進まないというニュースがTVや雑誌で報道された。工事を断る理由の一番目は「経済的理由」であり、その次に多かったのが「大将軍」であった。西暦2000年は辰年で大将軍は北の方角におり、住民たちの多くが屋敷の北に浴室や便所があったため、工事が進まぬ結果となってしまったわけである。

wikipedia 大将軍 (方位神)

暦を守ることは不可能

方位神を避けて生活するのは、現実的に考えてむずかしく厳密に言えば守ることはできません。

あまりに複雑すぎて、素人では簡単な法則しかわからず、方位の専門家でさえ判断が一致しないことも多々あったそうです。

例えば、金神は「遊行」といって一定の場所に留まらず、一定の法則で移動をします。

それに加えて太歳 (たいさい) 、大将軍(だいしょうぐん)、大陰 (だいおん) 、歳刑 (さいきょう) 、歳破 (さいは) 、歳殺 (さいせつ) 、黄幡 (おうばん)、豹尾 (ひょうび)などの八将神。

さらには、暦に記されていない「熊王子(くまおうじ)」、日ごとに移動する「日金神(ひこんじん)」、月ごとに移動する「月金神(つきこんじん)」、時刻によって移動する「時金神(ときこんじん)」など数多の方位神がおり、それぞれがぐるぐると移動し続けるわけです。

人間が生活する上で、暦を正確に守ることは不可能で、おそらく全人類が、方角をおかして生活しています。

もし正確に守るとすれば、

外出するにはコンパスは必須。トイレをするには方角に気を付け、結婚するにも相手の家の方角を見なければなりません。また、数年に一度は引っ越しを余儀なくされ、その引っ越しさえも方角を見て決めなければなりません。

方角を見て守ることは不可能です。

しかし、昔の人は「知らずに犯せば牛馬七匹、知って犯せば亭主より七墓ななはかつかす」といって何百年ものあいだ金神を恐れ続けました。

金神七殺にあった赤沢文治

金神七殺

金神七殺にあった人の中でもっとも有名なのは「赤沢文治(あかざわぶんじ)」でしょう。

15年の間に義弟、養父、長男、長女、次男、また飼い牛を二頭亡くしています。家のもの5人と飼い牛2頭、あわせて7つの墓を築きました。

「知らずに犯せば牛馬七匹、知って犯せば亭主より七墓ななはかつかす」村の人は、赤沢文治をみて金神の祟りだといいました。

「そんなことは偶然だろう」と思う方もいるでしょうが、年忌の年のたびに家族が亡くなっているのです。

「年忌」とは、亡くなった人の命日に行う仏事のことです。仏教では、故人が亡くなってから1年、3年、7年、13年・・・50年と追善供養を行うのですが、この年忌の年に家族を亡くすことが続きます。
18361842184818501851
義弟7回忌13回忌
7回忌13回忌
長男7回忌
長女3回忌
二男1周忌
1周忌

父親の供養の年に子供が死に、その子供の供養の年にまた別の子供が死ぬ。こんなことが何度も続くのですから、これほど不吉で恐ろしいことはありません。

方角を念入りに見て立てたにもかかわらず

風呂と便所を作ったあとに長男亀太郎(かめたろう)が亡くなり、家の敷地に門を作ったあとには長女ちせと続くので、赤沢文治は早々に「金神の祟り」だと気づきます。

そして、次の家の改築の時。文治は当時、大庄屋であり学者でもあった小野三右衛門(おのみつえもん)に方角を見てもらいますが「その建築をしてはならない」と言われます。

建築に使う木材はもう買ってしまっているので何とかならないものかと、もう一度見てもらい抜け道を教えてもらいます。

「それならば、三月十四日に、辰巳(南東)の方角に仮小屋を建てて、そこに移り住んでおき、八月三日から家を取り壊し、四日に地面をならして基礎をし、六日に棟上げをし、二十八日に移り住んだらよし」

これは、「方違え」というもので、一定のあいだ仮の小屋に住めば、そこが屋敷となるからその間に普請をしてしまえば大丈夫という意味です。(しかし、小屋を建てた南東の方角には豹尾神と金神がいた)

赤沢文治は小野三右衛門の言われるとおり仮の小屋を作り、そこに二男槙右衛門(まきえもん)と一緒に寝泊まります。

方角の専門家に見てもらったから安心かと思いきや、二男槙衛門は病気にかかり高熱にうなされ死んでしまいます。

金神への無礼

家族5人と飼い牛2頭を亡くした、赤沢文治が42歳の大厄の年。今度は文治自身が「のどけ」という病気にかかります。

医者は、のどが腫れて水を飲むこともできない文治を見て「助かる見込みがない」といいました。

文治は、自分のいのちを神仏に任せます。すると親戚の者が神がかりとなって「建築と移転をしたときに、豹尾神と金神に無礼をしている」と指摘します。

それに対して、別の親戚が「この家は方角を見て建てた。金神に無礼はしていない」と言い返します。(このように神がかりが起こったときには、反論しなければならないらしい)

神は「方角を見て建てたなら、この家が絶えても、亭主が死んでもかまわないのか」といいます。

このやりとりを聞いた文治は、なんということを言われるのだろうかと思い、

「ただいま氏子の申したことは、なにも知らずに申しました。私は建築をしてはいけないと言われたのにもかかわらず、方角を見てもらい建てました。狭い家を大家に広げて、どの方角へご無礼しているか凡夫なので分かりません。方角を見てすんだとは私は思いません。以後は無礼のところは、お断り申しあげます」

と丁寧にお詫びしました。

これに対して神は、

「その方は行き届いておる。元日に氏神の広前に参り来てどのように頼んだか。『当年42才の厄年、厄負けしないように』と願ったであろう。文治は、熱病の番であったが熱病では助からんので、のどけに神がまつりかえてやった。神徳をもって神が助けてやる。」

と自身の非を認めてお詫びする文治を助けると約束します。

神さまの言われた通りに文治はしだいに体調が良くなり、ほどなくして全快しました。それから文治は金神を避ける考えを改め、金神を神さまとして丁寧に敬い祀るようになります。

金神が教えてくれる

日増しに手厚く敬い拝む文治に、金神さまは「文治の手や口」を通して色々なことを教えてくれるようになります。

コレラの対処法

ある日、文治は親類が集まった祝いの席で、肴(さかな)をごちそうします。

みんなが食事をはじめようとした時に「その料理に酢を入れよ」と金神さまはいいます。

文治は一度だした料理に「皆さま、ご免」と言い、酢をかけて箸でかき混ぜてまわり「さあ皆さんお召し上がりくだされ」といいました。

想像してみると異様な光景ですが、この年(安政5年)はコレラが爆発的に流行した年。江戸だけで10万人以上の命が失われました。

「コレラ」とは、嘔吐、下痢をくりかえし発病後1、2日で死亡することから「三日コロリ」と恐れられた伝染病です。

当時、得体の知れないコレラは貿易によって日本にきた「異国の妖怪」と思われていました。
「異国の妖怪、虎狼狸(ころり)に対抗できるのは日本の狼」という噂がまわり、オオカミ信仰が大流行。儀式のために二ホンオオカミが乱獲され、絶滅の要因となったほどでした。

金神さまは祝いの席で文治に「酢のどっちつかずがあたり、もののあたりがコレラになり」と教えます。

現代の表現で解釈すれば、

  • コレラの感染経路は、食物
  • コレラ菌は酸に弱く、酢を多くとれば感染しない

文治は当時の人が知るはずもないコレラの対処法を金神さまに教えてもらったのでした。

安産の方法

江戸時代の死産数・乳児死亡数は現代に比べてかなり高かったようです。

ある庄屋(村長のような人)が残した妊娠と出産調査の記録では、165人の妊婦が出産し無事に育った子供は60%。残り40%は流産、死産、乳児うちに亡くなりました。5人のうち2人が亡くなる計算です。

この死亡率の高さは、お産に関する俗信が大きく関係しているといえます。金神さまは文治の妻のお産を通して、正しいお産のあり方を教えました。

その1.毒断ち

当時、毒断ちといって特定の食べ物が毒になる言われ、妊産婦は多くの食物を食べることを禁じられました。

なまこやタコを食べると骨がない子が産まれる。カニを食べると毛深い子。卵を食べると髪がない子。秋茄子を食べると流産する等いわれ、食べてよいものは、米の粉のだんご汁、里芋の茎のみそ汁、コイのみそ汁などごく限られたものでした。

この「毒断ち」について、金神さまは自分が食べたいもの、好きな物は身の薬になるから、有難く頂く心で食べよ」と教えました。

その2.腹帯(岩田帯)

当時の妊婦は、妊娠5ヵ月目になると「腹帯」を巻きます。胎児が大きくなると難産になり、小さく育てれば安産になると考えて腹帯をきつく締めました。

腹帯をきつく巻くと胎児が大きくならないのは事実のようですが、これは胎盤への血流が悪くなり胎盤機能不全による発育障害の結果だと考えています。
腹帯をきつく巻くことは、むしろ母体にも胎児にも危険な状態と考えられます。

腹帯 | 医療法人社団鈴峰今中医院

金神さまは「妊婦は腹帯をしなくてよい」。腹帯をして胎児を痛めるよりも、懐妊中は家族中が仲良くし、妊婦を怒らせないようにと教えました。

その3.よかり物

産後は、横のなって体を休めるのが当たり前ですが、当時は横になって寝ると頭に血がのぼり「血の道」という病気になると考えられました。

そのため産婦は「よかり物」に寄りかかって寝ていました。

岡山地方では、33把のわら束に寄りかかって休み、毎日一把ずつ抜き取って、33日目にやっと横になって休むことができたといいます。

これについて金神さまは「よかり物をせずに横になって休め」、よかり物をすることでかえって血行が悪くなる、それよりも神を頼めと教えました。

その4.初乳

現代は、産まれたばかりの赤ちゃんに「初乳(しょにゅう)」を与えます。「初乳」とは分娩後の数日間だけ分泌される乳汁のことで、赤ちゃんの免疫力を高める効果があります。

江戸時代、濃くて粘り気のある「初乳」は毒になるといわれ捨てられました。

その代わりに、生後2、3日の新生児には五香という薬草を煎じたものを飲ませたり、「乳つけ」といって他人の女性から乳をもらいました。これについて金神さまは「産まれた子には母の初乳をすぐにやり、五香はいらず」と教えます。

金神さまのお産に関する指摘は現代では当たり前のことですが、その当時では非常識なことばかりです。文治は金神さまとたずねて参ってくる者に金神さまから教えてもらった「安産の道」を伝えました。

良心のある神

コレラの予防法や正しいお産のあり方のほかに、

農作業の指示、照り降りなどの天候、文治が七墓築いた理由、赤沢家の先祖のことなど、文治は金神さまにさまざまなことを教えてもらいます。

そして、金神さまが指示されるとおりにすると物事がよい方に転ぶのでした。

ある年、「うんか」が大量発生します。

「うんか」とは稲作が始まって以来、大きな被害をもたらし続けた害虫です。享保の大飢饉(1732)では、うんかの大量発生によって餓死者約10万人、250万人が飢えに苦しんだといわれます。

荒歳流民救恤図|国立国会図書館

当時は田んぼに油を入れて、稲についたうんかを油の上に落として退治しました。

村の百姓がみな田んぼに油を入れる中、金神さまから、

「田に油を入れるな。うんかが食うか食わんか、今夜ためしに神棚の前で寝てみよ。蚊が食わねばうんかも食わんと思え」と指示があります。

その晩、文治は指示通り神棚の前で休みます。蚊が「わんわん」と文治に群がりますが、不思議なことに蚊に刺されることはありません。「うんかは食わない」という知らせです。

しかし、そうはいっても常識的に考えれば田に油を入れないと稲はうんかに食われてしまいます。

そうなれば収穫はなくなり、年貢(米)も納められなくなってしまう。とても勇気がいる決断ですが、文治は神任せにして田に油を入れないことにします。

収穫の季節になり、村の人は文治の田を見て「このような良い稲の熟れ色は村中にない」といいました。

この年の収穫は油を入れなかった文治の田は上米が7~9俵、油を入れた村の百姓の田は1俵も取れず、中にはうんかの被害を受けてまったく収穫がない田もありました。

金神さまの常識はずれの指示とそれに応じる文治。このような体験を何度もかさねていくうちに、金神さまと文治との間には、たしかな信頼関係が築かれていきました。

金神は地の神

文治は、さまざまなことを教えてもらう中で、それまで「逃げとけ、よけとけ、廻っとけ」といって恐れられてきた金神とは、「まったく別の性格をもった神さま」ということが分かってきます。

そして金神さまは、自らを「地の神」と明かします。

地の神は母

縄文時代の土偶が「地母神」を表したものと考えられるように、はるかむかしから「地は母親」という認識が人々にありました。

それは雨や日光などの「天の恵み」を地が受けて、地から人が生きる上で必要なものが生み出されるからです。

母親が子どもに乳を与えるように、地(体)から食物を生みだしてくれる地の神は万物の母として大切に敬われました。

平安時代から江戸時代まで、こどもの教科書として使われてきた実語教には「父母は天地の如く」とあります。

父母がわが子をおもう一念は、天地が人に恵む心に匹敵するという教えです。これを見ても日本人が長いあいだ天地を敬い、天地を親として見ていたことが伺えます。

人々に恐れられてきた金神さまは、「金神は人を祟る悪神」ではなく「木や食物をうみなす地の神」と文治に告げたのです。

金神は人を助ける福の神

金神さまをお祀りするようになってから、文治の身の上には不思議なことが次々に起こるようになり次第に、困った人がたずねて来るようになります。

ある日、文治の家の前に住む鈴木久蔵が「妻が妊娠中にはしかになり、医師は助からないだろうと言ってさじをなげて帰りました」と文治のもと願いに来ました。

この年(文久2年)は、「はしか」が大流行し江戸では約24万人(江戸の人口の4分の1)が亡くなった年でした。

当時、「はしかは命定め」といわれるほど死亡率が高く、妊娠中にはしかになると半数以上が何らかの合併症をきたし重症化するため、とても恐れられた病気です。

文治は、神棚に供えていたお神酒を久蔵に下げて「早く頂かせよ」といい、金神さまに祈念しました。すると久蔵の妻は早々とよくなり金神さまにお礼を言いに来ました。

これが噂になったのか文治のもとには、同じように「妊娠中はしかになった」と近隣の人が訪ねて来ます。文治は「金神に一心に願い、うろたえな」と話して聞かせ、6人の妊婦がおかげを受けて助かりました。
金光大神

このように文治は、参ってくる人々の願いを金神さまに取り次ぎ、金神さまは多くの人を助けます。

これまで金神さまは世の人に悪心邪神と恐れられており、「金神さま」といって願ってくる者はありませんでした。

しかし、赤沢文治という一人の人間を通して、人を助ける「福の神」となったのです。

赤沢文治は金神の眷属「金光大神」として、生涯人を助ける金神さまに人々の願いを取次ました。

金神さまを恐れる必要はない

金神さまは、「地の神」であり、人を助ける「福の神」です。方角を見て金神、また、大将軍をはじめとする八将神を恐れる必要はありません。

方角を見て避けるのは神への無礼

「方角を見る」とは、金神がいない隙を見計らって、敷地内に黙って荷物を置くようなもの。

人間でも出掛けている間に、家の前に黙って荷物を置かれていたら「誰がこれをおいたのか」と思います。そんなことが何度も続けば蹴散らしたくもなるでしょう。

人間が暮らす地は金神の地所。方角を見て留守をねらうのは「無礼」です。金神さまがぐるぐる回っている間に、せっせと用事を済ませても金神さまはまた巡ってきます。

頼めば守ってくれる金神

だから何をするにも恐れずに、金神さまに「御地内を使わせてください」とお断りすることが大切です。

例えば、人の家の前に「少しのあいだ、ここに荷物を置かせてください」と頼めば、気にかけて守ってくれます。

それと同じように「ご地内を使わせてもらいます」と一言断れば、金神さまの威徳でお守りをくださります。

人間は完璧ではないのであやまちを犯し、知らずのうちに神への無礼ができます。

それを「叱られる、怒られる」と恐れて逃げるよりも、正直に「お願いします」と神に近づけばいいのです。

今回は以上でございます。

[word_balloon id=”2″ position=”L” size=”S” balloon=”talk” radius=”true” name=”金光大神” box_center=”false” avatar_border=”false” avatar_shadow=”false” avatar_hide=”false” name_position=”under_avatar” balloon_shadow=”false”]

嫌うてよける精神と、金神さまのご地内に建てさしてもらうという精神と、どちらがよいか比べてみて、よいと思えばよい方をせよ。

[/word_balloon]

[word_balloon id=”4″ position=”R” size=”S” balloon=”talk” radius=”true” name=”村人” avatar_flip=”h” box_center=”false” avatar_border=”false” avatar_shadow=”false” avatar_hide=”false” name_position=”under_avatar” balloon_shadow=”false”]

へー

[/word_balloon]

a

SHARE
目次
閉じる