こんにちは、タツノトシです。
先祖から四代に渡り、神に仕えることを生業としています。
むかしから「天知る、地知る、我知る」というように、天と地、すなわち神は人間の腹の内を知っていると言われます。なので、
- 悪い行いをすれば、神からの叱りを受け
- 良い行いはすれば、必ず報われる
という意味の言葉を誰しも一度は聞いたことがあると思います。
と疑問に思う方もいるでしょう。
本記事では、そのような疑問を解決するために、「神さまは見ている」と言える根拠についてお話したいと思います。
神様は見ている
「天知る、地知る、我知る」というように、天地のあいだに住む人間は、天と地の合わせ鏡の中に、いるようなもので神は人間の行いや心の内をよくご存じです。
その理由は以下2つです。
- 理由その①:人間は神の分霊を授かっている
- 理由その②:天と地は人間の親である
順番に解説していきます。
理由その①:人間は神の分霊を授かっている
つまり、人のもつ心そのものが神であり、その心で思うこと、考えることは、もとの神にも伝わるのです。
天照坐皇大神の宣はく人は即ち天下の神物なり須らく静め謐まることを掌るべし心は即ち神明の本主たり心神を傷ましむる莫かれ
六根清浄大祓
これは神道の六根清浄大祓(ろっこんしょうじょうのはらい)という祝詞です。ざっくりとした意味は以下の通り。
私たちのもつ心は神であり、その心が知ることは、元の神「天と地の神」にも知れる。
なので「天知る、地知る、我知る」なのです。
理由その②:天と地は人間の親である
天父地母という言葉があるように、人間は太古より天を父、地を母と見ました。
それは、日光や雨などの「天の恵み」を受けて、「地より草木や生物が生じる」ためです。
ちょうど、父の種を母が受けて、母のお腹に子供が生じるように。
このような理由から天は万物の父、地は母という観念が世界で各地で見出されます。
平安時代から江戸時代まで、こどもの教科書として使われてきた実語教には「父母は天地の如く」とあります。父母がわが子をおもう一念は、天地が人に恵む心に匹敵するという教えです。これを見ても日本人が長いあいだ天地を敬い、天地を親として見ていたことが伺えます。
神が守る領地に産まれた者を氏子(うじこ)というように、天と地の神さまは氏子の行いや心をよく見ているのです。
- 人間は神の分霊を授かっている
- 天と地は人間の親である
以上が神さまが人間を見ている所以です。
神の見守りを実感したお産

わたしの妻は、子供を産む前年に母を亡くしていますが、産婦人科で妻の母と同じ名前の看護婦さんを3人見かけました。
加えて、産後の担当となって色々お世話をしてくれた看護婦さんも、また、同じ名前だったのです。
お産や子育ての時は母親がいると心強いけれど、妻にはその支えがありません。代わりに「神が見守っているぞ」と伝えて下さっているような事柄でした。
神さまは人間のことをよく見ており、見守ってくださります。
では、なぜ心の悪い人が幸せで、人の良い人が不幸になる事例があるのか?
徳やめぐりにはタイムラグがある
徳=善行、めぐり=悪行とは結果が現れるまでに時間差があります。
同じように悪い行い(めぐり)をしても、すぐに結果に表れないことがあります。しかし、悪事を続けていればいずれは必ず露見します。
善い行いや悪い行いは、長期的に見なければ分からないのです。
この長期とは、自分の代ではなく、子や孫の代に突然現れるかもしれません。
人を騙してお金を儲けていたり、嘘をついて信用を得る人でも、一時的にうまくいっているように見えるのはそのためです。
人は目先で人の良し悪しを判断しますが、神にとって人間はみな子供ですので、広い心で見るのでしょう。
また、善い行いをしても一朝一夕で結果はでません。人は基本的に気が短いですが、神の信用を得るには長期的に積み上げる必要があるのです。
なのでこの善悪のタイムラグを乗り越えるための辛抱が重要です。
結論:神の心にかなう生き方をしよう
なので長期的に見れば、悪行を積めば運命は悪く、善行を積めば運命は良くなります。
なので、神さまの目を気にし、神の心にかなう生き方を目指しましょう。
口・行い・心を揃える=真
「真」とは、嘘を言わないことです。
なんだそんなことか…と思うかもしれませんが、口・行い・心を揃えるのは難しいのです。
このように、人は口と実際の行いや心が正反対なことが多々あります。
神さまはわたしたちが、口では立派なことを言いながら、心がお粗末であることをよくご存じです。なので少しずつでも、口・行い・心が合致していかねばなりません。
今回は以上でございます。