こんなときは神棚へ(#2 子育て編)

 


神棚のある暮らしー #2 子育て編 ー

「そうだ、神棚の前で手を合わせよう」
と思うときは、暮らしの中でたびたびあるものです。
困ったとき、ここ一番のとき、重大な決断をするとき。
そんなときに神棚の前にすわり、
神さまへと手を合わせる。
すると、もつれた糸がほどけるように問題が解決したり、
「弱気になってはいけない」と元気がでたり。
そんなときは「ああ、おかげを受けたな」と思うのです。
暮らしのなかで神棚がいかされるとき。
そんな一コマをご紹介します。

朝と晩に子どものお守りを願う

まだ子供が寝ている、しずかな夜明け前。
神棚にまごころ込めたごはんを供えて、
4度手を打ち、子どもの身の上のお願いをする。
「今日一日が無事にすごせますように」
「体が丈夫でありますように」
「物事の分別がつきますように」と。
その日のお守り、その日の成長を神へ願うのです。

日が暮れて子どもが寝静まれば、
また、神棚へと向かい一日のお礼を申す。
「本日もけっこうなお守りを受けました」
「一日元気な体をいただきありがとうございます」と。
その日のおかげを受けたお礼を申すのです。

一日のお守りを毎日いただけば、
一年のお守りとなり、
一年のお守りを毎年いただけば、
一生のお守りとなります。
心優しい子に成長するように、
今日も神へと願うのです。

叱らず、脅さず、恐がらせず

感情的になって大声をあげて叱るとか、
「言うこと聞かないなら暗い所に入れるよ」と脅すとか、
「早く寝ないと鬼が来るよ」と恐がらせるとか、
子どもの心にアザをつくるような行いは、
しないように心がける。

子どもを叱り叱り育てると道楽者になり、
恐れさし、恐れさし育てれば臆病者になります。
叱ったり、恐がらせたりするよりも、
子どもの目線に合わせてよく教える。
なぜご飯を粗末にしたらいけないか、
なぜ夜は早く寝ないといけないのか、
じっくり、丁寧に教えるのが大切だとおもう。

もちろん、神さまへ向かって、
「物事の分別ができる利口な子になりますように、
「まごころのある素直な子に育ちますように」
とお願いするのも忘れずに。

子は親を映しだす鏡

「瓜のつるに茄子はならぬ」というように、
瓜のつるには瓜しかならず、
茄子がほしければ茄子を植えるしかない。
よい子を望むのなら、子にそれを求めるよりも、
まずは、親がよい心になる方が大切だ。
子どもの心をつくるのは、親の心。
こう考えると子育てって、子どもを育てるよりも、
自分の心を育てるという方が正しいかもしれない。

神棚のまえに出て、ご神鏡をじっと見つめれば、
「自分の身に曇りはないか?」と、
日々、心をみつめるきっかけとなる。
腹が立ったり、お手上げなときは、
子どもに当たったり、悪い心をむけずに、
神棚のまえへとすわり、神さまへお願いをする。
そうすると、すんなりとおかげをいただくときも。

神さまへ願い、自身の心を磨けば、
自身も育ち、子も育ち。
家族仲良くそろって、ともに繁昌するのです。
「神のある暮らし」が末の幸せをつくるのであります。


神棚のある暮らしー #2 子育て編 ー

「そうだ、神棚の前で手を合わせよう」
と思うときは、暮らしの中でたびたびあるものです。困ったとき、ここ一番のとき、重大な決断をするとき。
そんなときに神棚の前にすわり、神さまへと手を合わせる。

すると、もつれた糸がほどけるように問題が解決したり、「弱気になってはいけない」と元気や勇気がわいたり。
そんなときは「ああ、おかげを受けたな」と思うのです。

暮らしのなかで神棚がいかされるとき。そんな一コマをご紹介します。

朝と晩に子どもの
お守りを願う


まだ子供が寝ている、しずかな夜明け前。

神棚にまごころ込めたごはんを供えて、4度手を打ち、子どもの身の上のお願いをする。

「今日一日が無事にすごせますように」
「体が丈夫でありますように」
「物事の分別がつきますように」と。

その日のお守り、その日の成長を神へ願うのです。

日が暮れて子どもが寝静まれば、また、神棚へと向かい一日のお礼を申す。

「本日もけっこうなお守りを受けました」
「一日元気な体をいただきありがとうございます」と。

その日のおかげを受けたお礼を申すのです。

一日のお守りを毎日いただけば、一年のお守りとなり、一年のお守りを毎年いただけば、一生のお守りとなります。

心優しい子に成長するように、今日も神へと願うのです。

叱らず、脅さず、 恐がらせず

感情的になって大声をあげて叱るとか、「言うこと聞かないなら暗い所に入れるよ」と脅すとか、「早く寝ないと鬼が来るよ」と恐がらせるとか、子どもの心にアザをつくるような行いは、しないように心がける。

子どもを叱り叱り育てると道楽者になり、恐れさし、恐れさし育てれば臆病者になります。

叱ったり、恐がらせたりするよりも、子どもの目線に合わせてよく教える。

なぜご飯を粗末にしたらいけないか、なぜ夜は早く寝ないといけないのか、じっくり、丁寧に教えるのが大切だとおもう。

もちろん、神さまへ向かって、「物事の分別ができる利口な子になりますように、「まごころのある素直な子に育ちますように」とお願いするのも忘れずに。

子は親を映しだす鏡

「瓜のつるに茄子はならぬ」というように、瓜のつるには瓜しかならず、茄子がほしければ茄子を植えるしかない。

よい子を望むのなら、子にそれを求めるよりも、まずは、親がよい心になる方が大切だ。

子どもの心をつくるのは、親の心。

こう考えると子育てって、子どもを育てるよりも、自分の心を育てるという方が正しいかもしれない。

神棚のまえに出て、ご神鏡をじっと見つめれば、「自分の身に曇りはないか?」と、日々、心をみつめるきっかけとなる。

腹が立ったり、お手上げなときは、子どもに当たったり、悪い心をむけずに、神棚のまえへとすわり、神さまへお願いをする。

そうすると、すんなりとおかげをいただくときも。

神さまへ願い、自身の心を磨けば、自身も育ち、子も育ち。家族仲良くそろって、ともに繁昌するのです。

「神のある暮らし」が末の幸せをつくるのであります。

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