願掛けの種類と例【おすすめは心掛け】

こんにちはタツノトシです。
ここ3年間で良縁・結婚・病気平癒・子宝・安産を神に願い、おかげさまですべて成就しました。

神仏に願うと同時に誓いを立てる願掛けには、大変厳しい苦行のようなものからおまじないのようなライトなものまで、数多くの種類があります。

本記事では、昔から行われてきた願掛けから現代のものまで約20種類の願掛けをご紹介いたします。

また、これらから願掛けを行おうとしている方には心掛けがおすすめです。

目次

おこもり、夜籠り、通夜、参籠り

おこもりとは神社や寺で徹夜で祈念することで、数日間にわたって行われることもあります。

Noguchi Hideyo

野口英世の母「野口シカ」は、息子宛ての手紙に自身がおこもりをしていると記しています。

お前の出世には、皆たまげました。わたくしも喜んでをりまする。中田の観音様に、毎年、夜籠りをいたしました。勉強なんぼでも切りがない。烏帽子(烏帽子村から金の催促)には困りをりますが、お前が来たならば、申し訳ができましょう。

野口英世に宛てた母シカの手紙 

野口シカは中田の観音様(弘安寺)を信心しており、息子の火傷平癒や立身出世の祈願をしました。

それは、野口英雄が一歳半のときに囲炉裏に落ちて大やけどを負ったからです。左手の指はくっついてしまい物を掴むことができない息子の身を案じて一心に願ったのでしょう。

家は農家でしたが、左手が使えない英雄は勉学に励み、多くの人の支援を受けて医者の道に進むことになり、後に手術を受けて元のように物を掴めるようになり、細菌学者として名を馳せました。

野口英世はアメリカから帰国した際に、母と恩師と共に中田の観音様のもとへお礼参りにいきました。

くくり猿

くくり猿とは四角の布に綿を入れて縫い、四隅の手足を1か所に集めてくくり、頭をつけて猿の形に作ったものです。

むかし備中国浅口郡(現岡山県倉敷)の沙美というところに桂ミツという女性がいました。ミツは「病み袋」と言われるほど身体が弱く、村の人のあいだでも有名でした。

ある秋に、腰から下の温もりがなくなり起居も不自由になってしまいました。ミツは病気平癒のために金神さまにくくり猿を供えます。

一日一匹くくり猿を縫っては供え、縫っては供えて百日目にとうとう病気平癒のおかげを受けました。

千度祓い、万度祓い

千度祓とは大祓詞(おおはらえのことば)などの祝詞やお経を千度、万度祓いなら万度唱えることです。10人で100回とか、100人で10回とか分担して行われることもあります。

私の祖父が戦争に召集されたときに、祖父の母が「息子が無事に帰ってくるように」と願掛けをしました。

その内容は「毎日神さまに大祓詞を五十巻奏上します。」というものです。加えて、「神さまのおかげで無事に息子が帰ってきたなら、お礼として生涯、大祓詞を毎日五十巻奉ります。」と誓いを立てました。

曾祖母の願いは成就し、おかげを受けて祖父は戦争から無事に生還しました。

「弾丸がヒュンヒュンと頭の上を飛んでいくのは怖くない。ブスブスと地面に突き刺さる音は危ない。それよりも恐いのは砲弾の破片。カミソリのように切れ味がよく、腹に少しでも当たると内臓がゾロリと出るぞ。」

戦争は常に死ととなりあわせで、行軍中マラリアにかかり「あいつは明日には死んでいるだろう」と言われたこともあったそうです。

祖父は自身が所属した一個中隊120名の写真を見せ、終戦まで生き残ったのは自分だけで、あとの者はみな死んでしまったと話しました。

祖父の母は願いが成就したお礼に、神さまに毎日大祓詞を五十巻奉ったそうです。

日参、月参

日参は毎日、月産は月に一度、願いが成就するように特定の神社や仏閣へ参拝することです。

地方によっては参る度に布で作った猿を供えて、それが千匹になると願いが成就すると言われました。

むかし、備前国上道軍沖新田(現岡山市政津)に青井サキという女の方がいました。サキの家はもともと裕福な家庭でしたが病気の不幸が続きます。

ある日、父平七が流行り病のコレラにかかり、治ったと思いきや今度はいざり病(足が立たない)にかかります。

母りよは父の病を苦にして血癪の病(血行障害による婦人病の一つ)となり、一年の八割を寝床ですごしました。

青井サキは「子として親を助けねば面目が立たぬ」と祈祷師、按摩師、医者、色々な神さまに頼むなどあらゆる手段を尽くしましたが、一向によくなる気配はありません。

医者はサキの親を診て「死なんとして死なれず、生きんとして生きられず、とても、しばかぶらねば(死なねば)どうにもならぬ、難儀なものじゃわい」と言いました。

子供のときから両親の苦しむ姿ばかり見てきたサキでしたが、ある人の勧めにより金光大神のもとへお参りします。両親の病気のことを話すと、

金光大神

どの神へでも、わが一心と思う神へすがりさえすれば助けてくださる。あの神へも頼み、この神へも頼みては、神の力関(力のおよぶ範囲)が知れぬわいの

と教えられ、サキは「治してくださる神様なれば、私は一命入れて助けねばおかぬ」と思い力いっぱい一心になりました。

サキは千日の日参の願いをかけ、毎朝四時に起きて参拝をします。父のためには布きれで千匹猿を、母のためにはくず糸で千手まりをつくって供えながら、金神の広前への参拝を続けました。

程なくしてサキの両親は金神さまのおかげを受けて全快しました。

食物断ち・断食

断食とは一定の期間、食べたり飲んだりを断つことです。願掛けにおいて好物を断つことは昔からよく行われました。

むかし、備中国浅口群六条院(現岡山県)に高橋富枝と言う女性がいました。この方は、たいへん心優しい人で友達の手にあるイボが、自分の手に移るようにとお地蔵さまにお願いします。

お地蔵さまに願った通り友達の手のイボはなくなり、その代わり高橋富枝の手にイボができました。

そこで今度は、「好物のうなぎを断つので、自分の手のイボを無くしてください」と願掛けをします。するとまたもおかげを受けて、富枝の手のイボは無くなりました。

後に金光大神のもとへ参ったときに、「好物を断つのは良くない、”さわがに”か何かに約束を変えてもらいなさい」と言われ、それからは好物のうなぎを食べるようになりました。

金光大神

食わずの行をするのは、金光大神は大嫌いである。食うて飲んで体を大切にして信心をせよ

お地蔵さまを縄で縛る

お地蔵さまや観音さまの像を縄で縛って、願いが成就すれば縄を解くという願掛けがあります。古くは、「おこり」というマラリアのような間欠熱がでる病になったときに行われたそうです。

現代でも「縛られ地蔵」として祀られており、縛れば盗難除け、足止め、厄除け、縁結びなど、あらゆる願い事を聞き入れると言われます。

お地蔵さまに縄を縛って願いを叶えるように、強要しているように見えて恐いですが…

金光大神

おこりやいぼを落とすために地蔵様や観音様を縛ったりする者があるが、そういうことをしてはならない。そういうことをすると、三代後には必ず縛られる者ができる。

酒断ち、禁酒

酒断ちは、お酒を辞めることです。

東京都にある虎ノ門「金刀比羅宮(こんぴらさま)」には金刀比羅宮には「押手の誓(おしでのちかい)」と言われる祈願があります。願い主が誓願書に自らの手形を押して酒、煙草、賭け事を断つそうです。

落語家「三遊亭円生」は金比羅さまに酒断ちを誓いましたが、お客さんに誘われた食事の席で酒を飲んでしまったそうです。

翌朝、金毘羅さまのものへ謝りに行き「3年の約束を6年にするから、夜だけは飲ませてください」とお願いしたのだとか。

また、江戸時代、備後国御調郡(現広島県尾道市)に宮永助四郎という男がいました。助四郎は大変な酒豪で毎日お酒を一升五合(約2.7リットル!)も飲みました。

助四郎が金光大神のもとへ参拝したときに「家が貧乏で困りますから今日限り酒をやめさせていただきます」と申しあげると金光大神は、

金光大神

午の年(助四郎)は今日限り酒をやめるのか。それもよい。酒をやめて、今晩からお神酒をいただけ

と言われて、金神さまの神棚からお神酒をお下げになりました。それからというもの、宮永助四郎は大酒はせずにお神酒を有難くいただきました。

塩物断ち

塩物断ちとは、塩気のある食べものを1年とか3年とか期間を定めて断つことです。

Noguchi Hideyo

野口英世の母「野口シカ」は、息子宛ての手紙に塩断ちをしていることを記しています。

早く来てくだされ。早く来てくだされ。早く来てくだされ。早く来てくだされ。
一生の頼みでありまする。西さ向いては拝み、東さ向いては拝みしてをります。北さ向いては拝みをります。南さ向いては拝んでをりまする。
一日(ついたち)には、塩断ちをしてをります。栄昌様(隣家の鵜浦栄昌。天台宗の修験者)に一日(ついたち)には拝んでもろてをりまする。なにを忘れても、これ忘れません。
写真を見ると、戴いてをりまする。早く来てくだされ。いつ来ると教へてくだされ。これの返事待ちてをりまする。寝ても眠られません。

野口英世に宛てた母シカの手紙

長い年月会うことができない英世の健康を願う母の様子がうかがえます。手紙を受け取った野口英世は、そのあと帰国して15年ぶりに母と再会しました。

火物断ち

火物断ちとは、一定のあいだ、火を通した料理を食べないことです。あまり聞きなれない願掛けですが、落語の演目「てれすこ」に出てきます。

長崎のある漁村で、珍しい魚が捕れたが誰もその名を知らない。漁師は恐れながらと奉行所へと申し出て魚の名前を聞くが、むろん役人どもは知る由もない。だが、知らないのはお上の沽券に関わることなので、名を知っている者には百両を与えるという高札をあちこちに立てた。

 しばらくすると、多度屋茂兵衛という商人が奉行所に出頭し、魚を見てこれは「てれすこ」という魚だと申し立てた。役人の方も本当か嘘かを確かめる術もなく、茂兵衛に百両を与えた。
これを聞いたお奉行は嘘臭い怪しい話と思い一計を案じる。てれすこを干物にさせ、「また珍しい魚が捕れたので、名を知る者には百両与える」と高札を出した。

 これを見た茂兵衛さん、柳の下のどじょうで止せばいいのに、また百両せしめようと欲をかき、のこのこと奉行所へ出向いて行った。「てれすこ」の干物を見て、「これはすてれんきょうという魚です」と申し立て、奉行の仕掛けた罠に掛かって召し捕られ入牢の身となってしまった。

お白州での厳しい吟味の末、奉行は「始めてれすこと申せし魚を、次にはすてれんきょうと申し、上を偽わる不届き者。重きお咎めもあるべきところ、お慈悲をもって打首申しつくる」と、前代未聞の「テレスコ裁判」は一件落着となった。

 奉行は最後に望みがあれば、一つは叶えてやるという。茂兵衛は妻子に一目、会わせて欲しいと願い出る。すぐに乳飲み子を抱えやせ細った女房がお白州へ呼ばれ、茂兵衛との今生での別れの対面となった。

 女房のやつれた姿に驚いて理由(わけ)を聞くと、入牢した茂兵衛の身の証しが立つようにと、火を通した物は口に入れない火物断ちをしていたが、赤子の乳が出ないのは可哀そうなので、そば粉を水で溶いたものをすすっていたという。

 茂兵衛はそこまでわが身を案じてくれる女房に感謝して、「もう思い残すことはないが、子供が大きくなっても、決してイカの干したのをスルメとだけは言わせてくれるな」と遺言した。

 これを聞いた奉行、膝を打って「多度屋茂兵衛、言い訳相立った。即刻、無罪を申し渡す」で、スルメ一枚で首の皮はつながり放免となった。

 それもそのはず、おかみさんが火物(干物)断ちをしましたから

落語散歩「てれすこ」

薬断ち

薬断ちとは、薬や医者の治療を断つこと。薬断ちで有名なのは、徳川家光の乳母「春日局(かすがのつぼね)」です。

Kasuga no tsubone

徳川家光は幼少のころから、病気がちで生死にかかわる大病を何度か患っています。乳母である春日局(かすがのつぼね)はそのたびに、不眠不休で看護をおこなったそうです。

家光が天然痘にかかったときには、神仏に病気平癒を願い「私は今後一切、薬を口にせず、鍼灸も用いません」と願掛けを行いました。

春日局は「自分が薬を飲めば、家光の命運が尽きる」と言って生涯、薬断ちを守り抜いたそうです。

女断ち、男断ち

男断ち、女断ちとは男女の交わりを断つことです。夫婦の場合、3年などの期間を定めて別々の布団で寝るなどの方法で行います。

「女断ち」といえば、不犯の名将と言われる上杉謙信が有名です。謙信は戦に勝つために毘沙門天に願い、肉欲と色欲を断ったと言われます。

実際に正室や側室はもっておらず子供は全員養子をとっており、「生涯不犯(しょうがいふぼん)」と称して一生、女断ちを貫いたそうです。

また、京都の安井金比羅宮には「男断ち」を決意した女性(明治22年、当時54歳)が絵馬を奉納しています。

絵馬には「是まで男さんを持って困りました故、此度心を相あらため、男さん一切御断り」とあります。つまりこれまでの男性関係を反省し、「男断ち」を神に誓った証がこの絵馬です。絵には、髪を切って法衣姿の女性の横に、彼女が過去に関係した十数人の男性が行列をつくっています。さらに驚くのは、絵馬の隅に小さく「但し三ヶ年間之事」という但し書きが書かれています。

男断ちの絵馬

煙草断ち、禁煙

煙草断ちは、煙草を断つことです。

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「男はつらいよ」で有名な渥美清は、無名時代に小野照崎神社で「好きな煙草を断つから役者として活躍できるように」とお願いしたそうです。

帰宅後に電話で仕事のオファーがあり、後に「男はつらいよ」の寅さん役で国民的スターになりました。

髪を切る、髪を伸ばす

現代でも行われる願掛けの一つに髪をバッサリ切る、もしくは願いが成就するまで伸ばすといった誓いがあります。

女性の命とも言われる髪は古くから神聖なものとされました。むかしは夫が病気になると妻が髪を切って神仏に捧げて祈ったそうです。

むかし、摂津国西成郡難波村に綿商と醤油屋を営む道願縫(どうがんぬい)という女性がいました。

縫の夫の善兵衛は二十七歳の若さで亡くなったため、縫は夫の遺志を受け継いで何とか綿屋と醤油屋を繁盛させようと願っていました。しかし、長いあいだ家業に心を労したために胸痛の病を患ってしまいます。

縫は天地金乃神に一念を込めて病気平癒を願い全快のおかげを受けました。

そのお礼参りのときに、醤油業と綿商の商売繁盛のおくり合わせを願い、頭髪を刈り落として五分刈り頭になりたいと願います。

縫は夫が若くして亡くなったことや、自分が夫の遺志を受け継いで家業を繁昌させたいなど、願いの筋を伝えると、金光大神は一言。

金光大神

女の一心は岩でも通す

縫はこの教えを心にかけて、事業隆昌のために奮闘しますがその甲斐なく事業は失敗します。

縫は前後始終のことを考えて教えを誤解していたことを悟り、醤油と綿商の廃業を決意。その後、縫は土佐にわたり人の願いを神さまに取り次ぐご用をして多くの人を助けました。

その他の断ちもの

上記で紹介した断ち物のほかに、

お菓子やジュースを断つ砂糖断ち。緑茶、抹茶を断つ茶断ち。コーヒーを断つコーヒー断ち。合格祈願を願う受験生が行うスマホ断ち、ゲーム断ち、sns断ち。

など現代ならではの断ち物も多いようです。

絵馬

絵馬とは神さまに祈願したとき、または願いが成就した際に奉納する絵です。

現代では願い事と名前を書きますが、むかしの絵馬には願いごとから連想する絵が描かれました。

例えば、眼病平癒を願う人は、ひらがなの「め」を描いた絵馬を奉納し、耳の悪い人は錐(きり)を描いたものを。夫婦和合を願う人は、餅を二段にかさねた重ね餅を。

断酒、禁煙、ばくちを慎む誓いを立てるものは、「心」という字に錠前をかけた「心に錠図絵馬」を。海上安全には、自分の船を描いた「船絵馬」を奉納するなど。

祈願する内容によって色々な絵が書かれました。

船絵馬
辰吉丸|「粟崎八幡神社の船絵馬」(小鳩良一 日本船舶海洋工学会講演会論文集 第 26 号) 73

水垢離、水行

水垢離(みずごり)とは水をかぶり心身を清浄にすると言われる行です。

水垢離は、寒中に行われることが多く、滝に打たれたり、川に入ったり、柄杓でチョロチョロとかけ続けるものや、千垢離や万垢離という大勢で行われるものなど多様な水垢離があります。

金光大神

水垢離を取らなくても、心のこりを取って信心をせよ

裸参り、裸詣で

裸参り(はだかまいり)とは裸になって社寺へ参ることです。

大切な人が危篤になったとき、近隣の人々が集まって病気平癒を祈るために行われました。

新調したふんどしを締めて病人の家の前で水をかぶり、錫杖を鳴らし法螺を吹き呪文を唱えながら神仏の加護を願い、氏神や利益のあるといわれる社寺を駆け巡り参詣します。

裸で参る意味は、神聖な場所に入るときに履物を脱ぐように、慎みの心と切実さを表すために衣服を脱いで神参りが行われました。

お百度参り

お百度参りとは、神社や寺の鈴や賽銭箱が置いてある拝礼場所と、境内や参道などの一定の場所とを100回往復してそのたびに拝むことです。

社寺の中には、お百度参りをするためにお百度石が建てられているところもあり、その場合それを始点に礼拝場所とを往復します。

Kompira Hyakudoishi

お百度参りを行うには竹ぐしや小旗などをあらかじめ100本用意して、一度拝むたびに一本ずつ納めます。

また、お百度石には参った回数が分かるようにそろばんが付いているものもあります。

不足断ち

不足断ちとは愚痴や不足を断つことです。筆者が勝手に名づけてみました。

筆者は小さいときから月に2、3度おこる割れるような頭痛に悩まされており、頭痛になるたびに神さまにお願いしていたのですが、なかなか治りませんでした。

ある時に、愚痴不足を言うのが頭痛の原因ではないかと思い「これからは人前で、頭が痛い、頭痛は持病と言わないように心がけます」と神さまに申し上げます。

すると、速やかにおかげを受けて痛みが止まり、それからは毎月の頭痛も無くなりました。

金光大神

神は丈夫な体を与えてやってあるのに、持病じゃ持病じゃ言うて、一生持って患うから、どうならんがな。

願掛けよりも「心掛け」

願掛けにはさまざまな方法がありますが、おすすめなのは心掛けです。

願掛けには苦しみを伴ったり、体を痛めたり、また時間を多く費やすものもありますが、願いが不成就なら骨折り損のくたびれ儲けになります。

対して人の陰口断ち、勤め先の愚痴断ち、朝寝断ち、無駄遣い断ちなどの「心掛け」に失うものは何もありません。

仮に願いが不成就に終わろうとも、心掛けは自身の徳分となって後々まで残ります。徳が積み重なれば末繁昌。後々に願い以上のおかげになるというわけです。

努力をするのは大切なことですが、方向が間違っていればその努力は水の泡となります。

願掛けとは、神に一心に願うための手段の一つ。大切なのは水をかぶったか、かぶらないかではなく、一心が立つか立たないかです。

今回は以上でございます。

金光大神

お祓いを何百度あげても、神がお受けくださらねば、言うたお祓は消えてゆく。消えてゆけば相損になって、時間を費やせば家業はできず、家が貧乏になって、人にそしられ笑われて、神さまのごひれいを汚すことになるぞ。

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